数学教育研究所 公式サイト Mathematics Education Institute Official Web Site
Jun.19
2013
クリープを入れないコーヒーなんて

 もう 35 年も前のこと。中学 1 年の私は, 生徒会の事務局(生徒会長・副会長を含むグループ)に立候補することになった。それ以前は学級代表を務めていて, 学級を代表して立候補した感もある。対立候補は隣のクラスの女子であったが, 当選するかどうかは私自身はよくわからなかった。投票前の立会演説会の原稿を書いていたとき, クラスメートが「真面目に訴えるだけではだめ。笑いをとらないと・・・・」とアドバイスのようなものをくれた。

「クリープを入れないコーヒーなんて」

これは, 当時流行っていたコマーシャルの決め台詞。これを用いた。これは, 「私を入れない事務局なんて」をこの決め台詞のようだと言っただけあるが, なぜかうけて笑いをとることができた。中学の選挙は印象に残ったものが勝つようなところもあるので, 私はこれで当選できた。

さて, 余談はここまでにして本論に入る。

最近, 塾・予備校の先生, 高校の先生と話をしていてどうやら勘違いをしているのではないかと思えることがある。それは,

「教員は, 授業をすることが第 1 の仕事である」

ということを忘れているのではないかと思える人が多いことだ。生徒の悩みを聞いてあげたり, 生徒の生活態度を指導したり, ときには友達目線?にたってあげたり・・・・このようなことをするのはよいことかもしれない。しかし, それが教員の第 1 の仕事ではないはずだ。中には, (授業はきちんとしていないのに)生徒の悩みを聞いてあげているから自分はよい先生だと思っている教員もいて困る。これは, 先ほどの決めセリフのように言えば,

「勉強を教えられない教員なんて」

ということになる。
 この「勉強を教えられない教員」の特徴としては, 「すぐに問題の解答を見る」あるいは「すぐに問題の解答を探す」というものがある。例えば, 今, 私はいろいろな箇所で数学の問題を提示したりする。それには, 簡単な因数分解もある。
 「(a+b-c)(a+b) を展開せよ。」
このようなものもある。これは生徒にハードルの低い問題で習慣づけさせることが大切だという話であるが, このようなものであっても
 「解答をいただけないか」
とくる。また, 予備校のテキストなどでも「解答をよこせ」と怒って要求してくる人もいる。本人達は気がつかないのだろうが, 解答を欲している教員ほど情けなく見える状況はない。
 昔, 私が務めていた塾では, テキストの解答などはなかった。しかも, テキスト作成者の独特な考え方が含まれているものや, 高校数学の範囲を超えた問題, それに問題に不備があって解けない問題もあったので授業の予習はものによっては大変苦労した。しかし, 解答がないから講師の力は担保でき, 結局, 塾の先生の水準を保つこともできたのだと思う。

 教育の質を保ち続けるためにも, 教育者の人たちはこの教員としての原点を忘れないでもらいたい(と言いたい人が多くいる)。

 「担当教科を教えられない教員なんて(いらない)」

である。

Jun.11
2013
学校再建の手法

昨今、少子化の影響を受け私立中学・高等学校および大学、あるいは公立の学校までも募集に苦労している様子が伺える。これに目をつけて「学校再建ビジネス」があるのをご存じだろうか。
 実は、学校再建に成功した例は大きく2つに大別できる。それは、
[1] 外部主導型

[2] 内部主導型
である。
 [1] 外部主導型は、銀行やそれなりのブローカーがある。手法はいたってビジネスライクである。ニンジンをぶら下げ教員達をよく言えば「やる気を起こさせる」、悪く言えば「煽る」方法で何とかしようとする。そんな方法でうまくいくのかと思う方もいるかもしれないがいくつかの成功例はある。(学校名を出すのは遠慮しておく) しかし、内心, 教員達の反発は大きいから実は成功の陰で問題も起こっている。
[2] の内部主導型は、校長、副校長あるいは教頭に有能な人がいる場合にいくつかの例がある。この場合は、教員に一体感を保ちうまくまとめあげ、よい雰囲気のもと学校が再生する。

 成功したかどうかは別として、[1],[2]のどちらの方法で取り組んでいるかだけで言えば、かなりの割合で[1]ではないだろうか。[2]はカリスマ的教員の存在がその学校に必要だからなかなか難しい。[1]の場合に気になるのは、教育の質を無視した行動も目に付くところだ。もちろん、その学校の良い点を外にアピールする力は、その点について素人である普通の教員よりはかなりよいので、このような点は十分に参考にはなるのだが。

また、[1]の人の場合、「生徒数が増えれば給料を上げると言えば、教員は頑張るだろう。それで頑張らない教員は●●だ」のようなことまで言い張る。しかし、教員心理としては「給料を上げてほしいから頑張るのではない。生徒を育てる喜びがあるから頑張るのだ」という。[1]型の「立て直し屋」にはこの教員心理を理解できない人が多く、ニンジンさえぶら下げれば教員達は真剣に頑張ると思っている。一方で、「給料を上げてほしいから頑張るのではない」と言い張る教員には、自分の授業に妙に自信をもちすぎて、外部からの意見を全く聞かなくなってしまった人もいる。これはこれで困りものである。
[1]型の「立て直し屋」には、教育の質がまったくわからない人が多いし、そんな質は関係ないと思う人も少数ではない。高校の現場では、数学IIIを苦手とする数学の教員も珍しくないし、また、平気で「ウソ」を教えている教員もいる。生徒にアンケートでもとって評判が悪ければその教員を叩けばよいなどと思っている人もいて、それは間違った方法である。

私は、個人的には[2]のタイプの内部主導型を応援したいと思う。だから、私の場合は数学の教員の少しでも役に立ってもらえるように、教員用のセミナーを開き、そのために呼ばれれば地方にも出向いている。(今年度も、当社のHPから数件の依頼があった。)
このことは、日本の数学のレベルを大きく上げることにもなり、学校再建という日本全体の視野から見れば小さい問題よりもかなり壮大なことである。

最後に学校再建については[1]でもなく[2]でもない方法として、学校教員のプロ、教育のプロを一定期間派遣し、現場の先生を主導していく方法が考えられるだろう。現場の先生が役に立たないというのではない。外からの刺激を受けるべきだということである。

最近、[1]型の人と話をする機会があったが、教員を「もの」か「道具」としか見ていないのが気になった。他の企業の再建とはちょっと違うのではないかと私は思う。一般企業では、ダメ社員を発奮させるために、「ニンジン作戦」や「罵ったり」するかもしれない。しかし、学校では、「ニンジンを見せられた人」「罵られた人」が生徒を教育するので生徒にも影響はあることだろう。そこが、一般企業と学校現場の大きな違いである。

※ 教員の方で、うちの学校は、今、[1]型、あるいは[2]型の改革をやっているというのがあれば、成功・不成功に関わらずどのような状況であるかを報告してくれませんか。もちろん学校は匿名で構いません。この場で頂いた意見を紹介します。

May.30
2013
リストの「超絶技巧練習曲」のように

 19世紀のピアニスト・作曲家のリストの作品に「超絶技巧練習曲」というものがある。これは、当時演奏家として最先端をゆくリストが自分技量を披露するのに十分な内容の曲である。現在は、何人もの方が録音されウェブ上でも無料で聴くことができるので、ぜひ一度聴いてみることを勧めたい。
 さて、この超絶技巧練習曲であるが、現在の方になるまでに2回ほど改訂をしている。
・1826年(リスト15歳) に第1稿である「すべての長短調のための48の練習曲 」Op.1 (実際は12曲)としてまず最初に世に出た。この作品の演奏はそれほど難しくはない。少年リスト(とは言ってもベートーベンを驚かした技量はもっていた)の作品であるから、後々のことを考えるとまだまだ成長段階にある作曲家の作品である。
・1837年(リスト26歳) 第2稿「24の大練習曲」(実際は12曲) が完成された。これは、現在最終形として残っているものよりもかなり難しく、リスト以外は演奏不可能とさえも言われていた。
・1852年(リスト41歳) 現在、最終形とされる第3稿が出版された。この版は第2版ほど難しくないものの、演奏効果は高いとされ、しかも芸術的にも洗練された作品と言われる。現在、演奏されるのはこの第3稿がほとんどである。

 第2稿は難しく, 当時の若いリストが技巧に走りすぎていささか無駄な音や動きが多いようにも思える。例えば、第8番の「狩」の最初などがそうである。それに比べ, 第3稿は無駄な動きを削除し、必要な旋律を効果的に浮き出すように円熟期をむかえた「芸術家」リストの工夫がみられる。

さて、話は変わり、「受験数学の理論」についてであるが、これは
・1993年「受験生のための教科書」(自費出版)
・1999年「受験教科書」(SEG出版)
・2003年「受験数学の理論」(駿台文庫)
と改訂を続けてきた。
 最初の「受験生のための教科書」は、今思うと素人の作る本であった。生徒に本物の数学を伝えたいという気持ちは十分にあったが、「上の図のように」など書いてあっても、ページをまたいでしまったために「上」には図がなく、前のページに図があったりして恥ずかしい部分もあった。これは、リストの超絶技巧練習曲で言えば、第1稿に相当する。
 次に, 「受験教科書」「受験数学の理論」は、かなり進歩した。そして、どの本よりも深く、日本で10番目くらいに数学ができる高校生が読んでも十分楽しめるように作成された。ある意味、高校生の理解できる内容に挑戦したものかもしれない。そのため、「普通の高校生」には、余分なページもあったであろう。しかし、教科書では省略されている部分などにも細かく解説しつくした。これは、リストの超絶技巧練習曲の第2稿に相当する。
 今、新課程用として「受験数学の理論」を改訂しているが, これは書名も変更し新しいものとして世に出る。もちろん、これまでの原稿を一部使い、方針も踏襲しているものが多いが、あまり必要とされない深すぎる内容は、ものによっては取り除く予定である。リストの超絶技巧練習曲のように無駄な動き、効果のうすい難しさは削除し、より洗練された「芸術的な」内容にすることを考えている。もしかすると、高校数学を超えた深い内容を好む人には、現行版の「受験数学の理論」の方が向いているかもしれない。そのような人は、近いうちに(新版が出れば)絶版になるだろうから今のうちに手に入れておくことを勧める。私の年齢からして、もしかして改訂は今回が最後になるかもしれない、つまり、今回がこのシリーズの「最終形」になるのではないかと思い、後々の人にも使ってもらえるように「洗練された」世界に誇れる内容にしたいと考えている。

 新しい版については、この場で細かく報告するので期待してもらいたい。

May.28
2013
新課程版「受験数学の理論」に関するお知らせ

 すでに今の高校2年生が新課程で学んでいますが、これに関し「受験数学の理論」も新課程版を作ることになっております。それは、「複素数平面」、「データの分析」など新しい分野があるからです。数学Aの「場合の数と確率」「整数」についてはこれまでの中にすでにおさめられているので、これまでのものでもよいのですが、この機会に、書名の変更も含め大きくにリニューアルする予定です。
 今後、決定事項がありましたら、この場で報告させていただきます。

May.28
2013
この夏の企画に関して

 この夏に数学の教員向けに次のセミナーを実施する予定です。

● 駿台教育セミナー「東京大学入試数学研究」 (東京・大阪) (日程は東京は8/12 または 8/25, 大阪は8/9 または 8/10)
(内容)
東京大学の入試問題(主に理系)について踏み込んだ研究をします。例えば, 「体積」の問題であっても, 体積のどのような問題が好んで出題されるのか, あるいは確率の問題であれば, どのような考え方をするものが得意でなければならないのかまでこだわった分析をします。
たとえ東大合格者が毎年 10 名に満たない学校であっても, 東大の場合は, その数名のために教員が力を注ぐことは様々な観点から決して無駄ではありません。
これから東大合格者を増やしたいと考える熱心な高校の教員の参加を希望します。後半の時間の一部に, 東大に限らない一般の受験生の誤答案の研究を入れる予定です。

● 駿台教育セミナー「新課程の数学III」と「計算のエチュード2」(東京・大阪. 期間
は「東京大学入試数学研究」と同じ)
(内容)
「新課程の数学III」については「複素数平面」とその周辺を扱います。近年の入試問題を中心に取り上げます。「計算のエチュード2」は, 以前, 好評をいただいたものの続編ですが,
今回は受講していただいた方に, それぞれの学校で同じ講座の授業あるいは補習ができるように構成してあります。そのため重要な問題は再度取り上げることもあります。なお, 「計算」と言えば「作業」と思われがちですが, ここで指す「計算」とは単純作業に\ruby{留}{とど}まらない広い範囲の計算を意味し,
「式と証明」, 軌跡の問題などで必要な「同値変形」なども含みます。生徒に解かせたくなる高校数学で扱う幅広い計算を用意します。

● 駿台教育セミナー「数学IIIオールラウンド」 (大宮 8/18)
 数学 III を久々に教える教員のための講座です。数学IIIを教えるためにおさえておかなければならない点を講義します。

● 教員用東大指導セミナー (佐賀県)

次は, 算数オリンピックの過去の上位入賞者のためのセミナーです。
●「創才セミナー」(岩国)

● 高校出張講演

Jan.01
2013
あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

私個人としては、今年は「受験数学の理論」の新課程用の改定、教育評論、新しいピアノ曲の新譜の刊行、「幸せ物語」の充実、教育系の論文等を控えており重厚な1年になる予定でいます。
これらについては、このサイトで経過をこまめに報告していきます。

また、従来に引き続いて資源の少ない日本の宝の一つである教育をより一層大切に考えて活動していきたいと思っています。そのため、同じ方向を向いている同志(立場は問わない)と関係を構築し、若い教育者にはアドバイス、支援なども行っていくつもりです。

本年もよろしくお願いいたします。

Dec.20
2012
復帰しました

 12月15日頃からこのサイトが一時閉鎖されていましたが、本日回復いたしました。何人かの方からご連絡までいただきありがとうございました。
引き続き、このサイトをよろしくお願いします。

清 史弘

Jun.17
2012
受験生5つの誓い

遠い昭和の時代、ウルトラマンというヒーローが当時の少年たちを夢中にさせた。昭和 41 年 7 月~昭和 42 年 4 月にウルトラマン(初代ウルトラマン) が放映され、その後ウルトラセブン (昭和 42 年 10 月~昭和 43 年 9 月)、少し空いて「帰ってきたウルトラマン」(昭和 46 年 4 月~昭和 47 年 3 月)、この後 1 年ごとに「ウルトラマン A」「ウルトラマンタロウ」「ウルトラマンレオ」と続いた。

この中で「ウルトラセブン」以前を第 1 期、「帰って来たウルトラマン」以降を第 2 期と分けるのだという。ストーリーも後になると少しずつ単なる怪獣退治ではなくなり、人間関係をも描いたドラマ化もしていったようである。

さて、「帰ってきたウルトラマン」の最終回であるが、それまで自分がウルトラマンであることを隠していた郷秀樹が同居していた坂田少年に自分がウルトラマンであることを告げ M78 星雲に帰っていくシーンがある。
このとき、郷は少年に、「ウルトラマン 5 つの誓い」として次のような言葉を残して行く。

一つ、腹ペコのまま学校へ行かぬこと
二つ、天気のいい日に布団を干すこと
三つ、道を歩く時には車に気をつけること
四つ、他人の力を頼りにしないこと
五つ、土の上で裸足で走り回って遊ぶこと

坂田少年はこれを叫びながら去っていく郷、すなわちウルトラマンを見送った。

この話は今の受験生の言葉にするとどうなるだろうかと考えた。そして、それは次のようなものになると解釈した。

【受験生5つの誓い】
1. 腹ペコのまま勉強しないこと。
2. 天気のいい日は、たまには日の光を浴びること。
3. 道を歩くときは、問題を考えすぎて車にぶつからないこと。
4. 他人を頼りすぎないこと。
5. 紙の上でペンを走り回らせること(きちんと計算すること)

解説をしよう。

1.
勉強をするには、勉強をするための環境を整えよ。もちろん、空腹のまま、空腹を気にしてばかりでは集中できない。
しかし、空腹だけではなく、音がうるさい、勉強している机が散らかっているなどのことにも十分配慮すべきである。

2.
文字通り、天気のよいときには日の光を少しでもよいから浴びよう。受験生は建物の中にこもりがちである。ともすれば、一日中こもっていて、太陽を見ない日もあることだろう。
適宜、気分転換をすることが長く効率よく勉強をするコツである。

3.
一つのことに集中するのは大切だが、まわりが見えていないようではよくない。
外を歩くときは、車に気をつけるのはもちろんのこと、自分のことばかりを考えて電車の中で他の人の迷惑になっていないかなども注意すべきである。
自分だけがよいのではいけない。

4.
受験生の中には、人に頼りすぎる人がいる。
わからなければすぐに質問すればよいという人もいるが、質問する前に自分で解答を見つける努力もしなければならない。
学習において、自分で物事を解決する力は大切である。

例えば、辞書を引けばすぐに意味がわかるようなものでもわざわざ聞いたり、少し考えれば理由がわかる定理の証明を考えずに聞いたりしているようでは、受験生はいつまでたっても自立できない。

5.
受験生の中では、自分で考えて何も書かない人がいる。自分で自分の図を書き、自分の計算をして始めて力がつく。
受験生の質問で「そんなことは途中計算をしっかりかけばわかることだ」というものは少なくない。実際に書かないで、「何でですか?」という質問は非常に多い。
参考書なども眺めているだけではなく、自ら行動することが大切である。

昔のウルトラマンは結構よいことを言っていたものだと思った。

蛇足ではあるが、私が少年のとき「ウルトラマンごっこ」というのがあった。最後の決め技である「スペシウム光線」のポーズでもめたことがある。
スペシウム光線は例えばこれである。

「スペシウム光線」

どうもめたかと言うと、右手が前か左手が前かである。よくラジオ体操をするとき、見本の人が前ですると実際と左右が逆になる、それと似ている。
私は、左手が前で右手が後ろだと主張したのだが、そこで遊んでいた10 人くらいがみんな、右手が前だと言っていた。
なぜかというと、右手が後ろで左手が前ならウルトラマンの左手が光線で焼けるから。
というのが理由である。実際は、絵を見てわかるとおりだが、私の方が正しい。
幼稚園か小学校1年生くらいのときだったと思うが、そのころから
「人間はみんなで間違うものだ」
という教訓を得た(笑)。

Jun.17
2012
やっぱり数学の基本は

よく、「数学は計算じゃない」などと言う人もいるが、やはり試験場では計算力があるかないかは非常に大きい。

計算力という場合、
「多項式を整理する」とか「2次方程式を正しく解く」あるいは、「与えられた関数を微分する」
のように、「決められた手順を間違いなくこなす」というものを想定する人も多いが、もちろんこれだけではない。

例えば、極限 lim(x→0) sin 3x/x を求めるときは、

lim(x→0) sin 3x/x =lim(x→0)sin 3x/3x ×3

のように変形するが、このように

(与えられた式)= (作りたい式)×(調整部分)

のように変形することも計算力である。(作りたい式) というのが念頭にあり、それに向かっていくという計算力である。
そして、よく言われているように
(A) いくら正しいことを考えても、計算ミスをすると正解に達しない
(B) 計算力があれば、最短ルートの解法でなくとも、正解に達することができる
も忘れてはならない。

教室での生徒からの質問で、解法 A と解法 B がある問題で
「なぜこの場合は解法 A を選ぶのですか?」(★)
のように質問は多々ある。
それは、もちろん経験というものがあるからという理由もあるが、
「頭の中で、数手先まで計算してあるから」
ということもよくある。逆に、(★)のような質問をする生徒は計算力がない生徒であるが、本人は計算をあまく見ているか、計算力がないことを自覚していないのが大半である。
複数の解法があるときに、適切な解法を選べるためには、私の著書「数学の計算革命」にも触れてあるが、数式計算の「暗算力」を鍛えなければならない。
(どのように鍛えるとよいかは、「数学の計算革命」の中に説明がある)
計算力のない人は、上の(★)のような質問をするとき、よく何か「目印」のようなものがあって、どこを見ればすぐにわかるものなのかを聞いて来るが、(実際そのようなこともあることはあるが)、そういうことではない。

高校数学の計算は「因数分解」「平方完成」「部分分数分解」・・・・とあげるとおよそ 30 ~ 40 程度の計算をマスターしなければならないが、
計算方法を覚えただけでは不足で、ある程度は「頭の中でできる計算」にしなければならない。

今、これを冬期講習の講座として提案しているのだが、理解がないか、しがらみがあるかで実現しない可能性もあるので、そうなれば、こちらを使って web 上で講座を開こうかと考えている。

Jun.16
2012
なんでこうなるの?

このようなタイトルを見て、萩本欣一を思い出せる人は私と同じ年代かそれ以上の人だ。今回は、もちろんふざけて言っているわけではない。

文科省の定めた新課程の数学のカリキュラムについて、つくづくこれを作った人の常識が疑われると感じている。
というのは、前回の改訂のときもそうであったが、とてもカリキュラム作りに日本のベストメンバーをあてているとは思えないからだ。
文科省のカリキュラムっていつも「なんでこうなるの?」と言いたい気分である。

最近、私は、このカリキュラムに沿った教科書を書いている。もちろん「検定外」の教科書である。だから、余計カリキュラムの不備が目立つ。
いくつか取りあげてみよう。

今回は、各教科書とも「必要条件・十分条件」の扱うタイミングに苦労している。
・指導要領では、「数と式」の中の最初の方(式の展開、因数分解よりも前)で扱うことになっている。これではまだ説明するためのサンプルが少ないということと、高校数学に慣れていない段階(4月~5月上旬)なので厳しいのではと思う。大手の教科書ではこの順番になっていない。
・数研出版の教科書は、「数と式」の最後の節にある。タイミングとしてはまあよいのかもしれない。しかし、
「『必要条件・十分条件』がなぜ『数と式』なのか!?」
はなはだ不可思議である。
・東京書籍はそのあたりをよく考えてあり、別の章としている。したがって, 文科省のカリキュラムの通りなら、数学 I は 4 章構成であるが、東京書籍は 5 章構成である。こちらの方が理にかなっている。

「図形と計量」の余弦定理について、一言いいたい。これは、今回の改訂が理由ではなく、これまで受け継がれてきたことであるが、
余弦定理として、なぜ、

a^2 =b^2+c^2-2bc cos A

だけでなく、

a^2=b^2 +c^2 -2bc cos A
b^2=c^2 +a^2 -2ca cos B
c^2=a^2 +b^2 -2ab cos C

を書く必要があるのだろうか。これは、一つあればよい。
a^2 を求めたいとき、隣の辺の長さと向かい側の角の余弦で決定することが大切なのだから、それがわかればよいので 3 つ書く必要はない。

「a^2 が b^2, c^2 になったらわからなくなるのですべて書いた」

のであれば、そのような勉強をする人は辺の長さが p,q,r になると分からなくなってしまうではないか。

ちなみに、数学Iにおいて、文科省のカリキュラムでは、「数と式」が最初にあり、その次が「図形と計量」(主に三角比)、その次が「二次関数」最後に「データの分析」となっている。ところが、これまでは「二次関数」が「三角比」よりも先に学習していたためほとんどの教科書では(すべてをチェックしたわけではない)「二次関数」が先である。文科省はなぜ「図形と計量」を先にしたのだろうか。おそらく彼らなりの理由はあるはずだが。

また、「図形と計量」の最後に三角比を平面図形、空間図形の考察に活用すること、とあるが、各社とも空間図形の活用に苦労している。
そもそも、空間図形の活用を無理にここでする必要があるのだろうか。なお、空間図形については、数学 A にも似たような単元がある。

まだ、数学 I だけでもいくつか気がついたことがあるのだが、今日はこの辺にしておく。