- Oct.12
2011 - 幸せ物語2011(挿絵・マンガ付き版)第6話(10/12更新)
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第6話「古い知識と新しい知識」(2011.10.12 up)
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第6話「古い知識と新しい知識」(2011.10.12 up)
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一応、これから 10 日に一度くらいは報告したいと思っています。
10月10日現在の受験数学の理論問題集「図形と式」の進捗です。
・問題編の原稿は入稿済み
・解答編 解答編は
第 1 章「図形を表す方程式」 19 題 (19/19)
第 2 章「不等式と図形」10 題 (10/10)
第 3 章「軌跡」16 題 (16/16)
第 4 章 「平面ベクトル」28 題 (17/28)
第 5 章「空間ベクトルと空間図形」 25 題 (7/25)
となっています。( ) 内は解答を書きあげた問題の題数です。
・図形と式・ベクトルクリニック (草案段階)
人は一生の中で 1 つ、2 つの「大失敗」はするものだと思う。その「大失敗」を振り返ると多くは何段階か踏んでそこに至るようなものではないだろうか。
そして、その失敗のきっかけは些細なことだったりする。「些細な段階で止めておけば」と後悔する人も多いのではないだろうか。
例えば、海外旅行中にラスベガスのカジノで「大借金」をして帰ってくる富裕層の話を聞く。最初は遊び心で始めて小さな「負け」を作り、それを取り返そうとしてかえって「負け」は大きくなる。気がついたらやめられなくなり、悲惨な状況で終わる。そして、振り返ってみると、最初の段階で関わらなければよかったと反省する。
長年、受験生に向けて授業をしていると「ダメ」になっていく生徒はある一定の経路を通ることがわかる。
その流れ、すなわち「没落過程」を書くと次のようになる。
[第1段階] 正常状態 (授業を集中して受けている状態)
[第2段階] (★)
[第3段階] 授業中に寝る
[第4段階] 授業に遅刻するようになる
[第5段階] 授業をさぼるようになる
[第6段階] 数学を捨てる (数学の点は悪くても気にならなくなる・悪いのが当たり前だと自分を納得させている)
[第7段階] 数学を受験科目からはずし、志望校を変更する
[第8段階] 受験をやめる
さすがに、いくら「ダメ」になっていくと言っても、たいていは[第8段階]に達する前に受験をむかえる。ただ、何浪もする人には本当に[第8段階]に達する人もいる。
では、このようにならないためにはどの段階で食い止めるのが一番簡単だろうか?
それは、先ほどの説明にもあるように最初の段階である。つまり、[第1段階]から[第2段階]に進まないように、ここで食い止めるのがもっとも痛みを伴わない。
それでは、空欄になっている(★)には何が入るのか。それは次のようなものである。
(★) 授業中に解答のみを写すようになる。
数学の授業は問題演習の場合でも、その考えに至る背後の考え、基礎知識の確認、間違えやすい危険なところの説明などがある。
その上で解答を記す。ところが(★)の段階に進んだ受験生はそこを一切聞かず、ただ解答のみを写すようになる。
これは、大切な情報を得ようとする気がなくなったからで、このように自分で情報を(自分勝手な判断で)取捨選択するようになると(★)の段階に進んだことになる。
これが没落の始まりである。
共同作業をするときには、お互いの意見を尊重し合うことも必要であると思う一方で、誤りは誤りとしてはっきり言うことも大切であるとは思う。
ただ、小さなこと(と思われること)で、こだわり続けるのもどうかと思う。
共同作業をするときに、お互いの関係が対等の場合とそうでない場合がある。例えば、原稿の執筆者と校正者の関係は、共同作業者ではあるが対等ではないだろう。
あくまでも執筆者の意見が主でそれをサポートするのが校正者ではないだろうか。その一つとして、小説家とその校正者を思い浮かべてみると、校正者が意見を強く言い、小説家の考えている展開を変えてしまっては、「出すぎた振る舞い」であろう。
さて、数学の原稿を書く場合も、校正者が強く注文してくる場合がある。
私が過去に受けた「校正者が譲らなかった注文」は次のようなものがある。これらについては私は校正者の気持ちは理解できる。が、その通りにするかどうかはこちらにも別の考えがあるので別である。皆さんはどうするだろうか。
[例 1] 「(a+b+c)^2 =a^2+b^2+c^2+2ab+2bc+2ca」
これに対する校正者の意見
「(a+b+c)^2 =a^2+b^2+c^2+2bc+2ca+2ab」
[例 2] 数列の漸化式の問題で,
「a_(n+1)-1 = 3(a_n -1) となるから a_n -1=(a_1 -1)・3^(n-1)」
これに対する校正者の意見
「a_(n+1)-1 = 3(a_n -1) となるから a_n -1=3^(n-1) (a_1 -1)
[例 3] 「2 次不等式 x^2 >1 の解は x<-1, x>1」
これに対する校正者の意見
「2 次不等式 x^2 >1 の解は x< -1, 1< x」
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第5話「6万年の夢」(2011.10.08 up)
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近年、大学入試の結果を受験者に開示する(成績開示)ようになってから、そこから多くのことがわかるようになってきた。とりわけ東大の場合は科目ごとに点数を開示してくれるのでそこから多くの情報を得ることができる。
成績開示が行われる前は、入試に関する情報は「単なる噂」、「直感的推測」にすぎなかった。せいぜい東大合格者を多く出す塾・予備校の合格者情報(合格した受験生の模試のデータなど)が比較的「科学的」な推測と言える程度であったのではないか。そもそも成績開示前に、東大の入学試験の得点が小数第4位まで(例えば、312.4233 点)あるということはどの位の人が知っていたのであろうか?
さて、成績開示が行われるようになって、実際の入試では自分が何点で合格したのか、あと何点とっていれば合格できたのかがわかるようになった。加えて、東大の場合は科目ごとの成績も開示しているので、どのような得点のパターンで合格したのかもわかるようになった。そして、その結果、合格するには様々なパターンがあることがわかった。例えば、私の知っている東大生には理系で数学が25点で入った人もいる。ちなみに、その人は英語が95点であった。また、3年前の合格者の中には(あくまでも本人談であるが)英語が 2 点で入ったという人もいた。さすがに、英語が 2 点というのはレアのケースであるが、「数学 25 点で合格」というのはそれほどレアなケースでもないことが私の教え子達を見て感じる。であるから、「東大に合格・不合格を分けたのはこの問題である」のような発言はかなり疑問である。なぜなら、数学が 25 点で合格する人と 70 点で不合格になる人にとっての「合否を分けた一題」というのは明らかに異なるからだ。
「東大入試改革案」と題打ったが、このようなことを考えるのは、上記のことを踏まえて今の東大の入試の科目配点がいささか疑問であるからである。
先日、私は今年東大に入った大学生5人と現2年生数人と話をした。その中でわかったことは、あくまで理系の場合であるが、「数学が不得意、英語が高得点をとって合格した」という学生は入学後もことごとく数学で苦労しているのに対し、「英語が不得意、数学が高得点で合格した」という学生からは英語で苦労したという話は聞かないからだ。英語が不得意という学生にはセンター試験が 120 点程度だったものもいるのであるが。
私の勝手な思い込みもあるかもしれないが、英語は多少苦手でも大学に入ってからある領域までは自学できるのに対し、数学が苦手な学生は大学に入ってからもなかなか
自分で補うことができない。理科の物理などもそうであると思う。したがって、数学あるいは理科が苦手で入った学生は苦手なまま理学部、工学部、薬学部、農学部等に進んでしまうのである。
実は、今の東大理系の2次試験の科目ごとの配点は、かなり前から変化しておらず、
外国語 120 点、数学 120 点、国語 80 点、理科 120 点
である。私は、これが、「どの教科も 8 割りくらいとらなければ合格できない」というのであれば、この受験科目と配点には意味があると思う。ところが、現状は理一の場合、センター試験で 810 (900 点満点)を取ったとすると 2 次で 220 点もとれば合格するので、例えば、
外国語 100 点、国語 50 点
をとれば、残りの数学と理科で 70 点であるから、数学 30 点、理科 40 点(あるいはその逆)で合格できるという計算になる。数学が 30 点でよいのなら、いわゆる「暗記数学」でも得点できるし、数学 IIIC を学習しなくてもよい。(実際、数学IIIC をすべて捨てて合格した人もいた。)
このような数学・理科の点で入った人には、入学を許可した大学が許可した以上責任をもって教育すべきではあると思うのだが、実際にはそうでもないようだ。
参考までに、来年度入試から東工大の2次試験は、
外国語 150 点、数学 300 点、理科 300 点
である。この場合、よもや数学、理科のとりわけ両方が苦手な人は入学を許可されることはないだろう。
東大の場合も、そろそろ伝統を見直し、理系の科目の配点を変えるころではないかと思う。特に、数学、理科の点を厚くするとよいのではないかと考える。私の知っている人にもいたが、帰国子女で特に何もしなくても英語だけはできて、残りの数学・理科はあわせて50点でも合格するのは、理系として入学させるのであればどうかなと思う
。英語ができれば、数学・理科はできなくてもよいと思わせていたのでは数学・理科を勉強しなくなるからいろいろな面で悪影響がでることだろう。
長い目で東大入試を見ていきたいと思う。
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第4話「数学の力とは(1)」(2011.10.04 up)
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20代のときに作曲したピアノ連弾組曲「夜の詩」の楽譜が出版される見込みになりました。もう少し正確に言うと、カワイ出版の企画出版というもので審査を受けて通ったので、カワイ出版の販売網に乗せてもらうというものです。
カワイ出版の企画出版については http://editionkawai.jp/publish/
「夜の詩」の演奏についてはこちら http://math.co.jp/blog/?p=244
ピアノ独奏曲には大きな会場でも耐え得る名曲は数々ありますが、ピアノの連弾はどちらかというと子供向きのものが多いので、
「大きな演奏会のプログラムになりうる大人が弾く連弾曲」
というコンセプトで作りました。
夜の詩は、北海道の冬のある夜の話をもとに作られています。
曲の解説はまた後日記載します。
とりあえず報告です。
すでにtwitter上で報告した通り, 今週 10/3~10/8 の間、希望者にこのサイトで公開されている「幸せ物語2011」の第1話から第6話までの漫画入りバージョンをお渡ししようと思います。
そこでルールは次の通りです。
・この期間中にすれ違えばいつでもどこでも(原則)受け取れる。どこでもというのは、校舎の中でも路上でも電車の中でもと解釈していただければよい。ただし、在庫が切れた場合これにあらず。
・一人で複数冊を受け取るのは不可。必ず一人一部。(先週に事前に予約を入れた人は除く)
・受け取るときは大きな声で要求しないこと。小さな声で
「幸せでないのですがどうしたらよいですか?」
「幸せをください」
「最近、不幸なことばかりで」
のように「幸」の入ったことを言えば、こちらで理解して渡します。ただし、「幸せ物語」そのものは最初からは発声しないでください。(目立ちすぎになります)
・10/10 日以降は持ち歩きません。
なお、漫画入りバージョンはいずれ第4話、第5話、第6話についても公開します。が、セキュリティーがかかっている場合があります。
受験生の質問を受けているとき, 妙な話を聞くことがある。例えば
「解答で『 1 次独立』という用語を使ってはいけないのですよね」
とか、
「『垂線の足』という語は使ってはいけないのですよね」
そんなことどこで聞いたの? と聞き返したくなる。ただ、このような質問をしてくる以上、この受験生にこのような情報を与えている人、あるいは書籍があるのは確かであ
る。
受験問題の解答には、どのような立場で書くかによっていくつかの種類がある。それを大きく大別すると
(A) 受験生が入試本番において書く解答
(B) 数学の教育者が学習者に対して示す解答
である。(B) の中にもいろいろとある。それは、
・教室内で先生が生徒に解説を交えながら書く解答
・受験書籍に書く解答
などである。
さて、(A) の場合は解答を書く人(受験生)は、数学のよくわかっている人に向けて書く。だから、小学生に説明するような内容はいらない。
「3 以上の素数はすべて奇数である。なぜ、奇数かというと・・・・」
「三角形 OAB ができているのだからベクトルOA とベクトルOB は1次独立である。ここで、2 つのベクトルが1次独立であるとは・・・・・」
の中の後半の説明を答案の中でしても仕方ない。
これに対し、(B)の「授業中に先生が説明する話」としては、
「わからない人もいるかもしれない」
ということで、念のため話すこともあるだろう。したがって、授業の板書はそのままの形では試験の答案にはならない。
(B) の受験書籍に書く解答では、一般的によく普及されている用語のみを使う。特に、知識の前提は教科書である。教科書にない用語を使うと通じない可能性がある。
だから「垂線の足」という用語は使わずに、別の表現を使う。
数学の先生は、共同作業(模試・テキスト作成)をすることや、授業研修(授業を見てもらい評価を受ける)を受けたりする。
そのときに、
「1次独立という表現は生徒がわからないかもしれないよ。だから、説明なしで使うのはねぇ・・・」
と言われたとする。これは、「先生が生徒を教えるときにする注意」である。
ところが、数学の先生の中にはこれを誤解して、生徒に対しても
「1次独立という語はクレームがつくかもしれないので使わない方がよい」
などと教えてしまう。つまり、
「教育者がすべき注意を受験生にまで強要してしまう」・・・(※)
のである。これはまずい。
最初に書いた「生徒がもってくる妙な話」によると、(※) のように教えている人もいるんだなと感じる。
受験生に限らず人は、先に入った情報が優先される。ときにはそれは後から入る正しい情報を拒否することもある。
ある事項を最初に生徒に教える教育者は注意してほしい。