3つの数学
数学には, 大きく分けて 3 種類ある。それは,
[1] 生きていく上で必要とされる知識としての数学
[2] 受験数学
[3] 趣味・興味としての数学
である。
[1] は, やさしいものであれば, 算数の計算などがあてはまる。また, 文科省のカリキュラムもこの姿勢で作成されているのではないかと考えられるから, 高校の現場で文科省検定に沿った数学を教えることは, [1] のもとでの活動である。したがって, 本来は高校数学の原点は大学受験などに振り回されるのではなく必要とされるものをしっかりと習得すればよいのであって, 時間制限のもとあせって解く必要のないものなのかもしれない。
[2] は受験特有の数学を指す。これは, この国がこれまで築き上げた「文化」の一つである。受験数学の特徴の一つは, 問題を解く上で厳しい「時間制限」があることである。したがって, ゆっくり考えて答を出すのではなく短時間で正解に達するような手法が必要とされることもある。例えば, 2 次方程式 ax^2+2b’x+c=0 を解くとき, 解を判別するときに D (判別式) ではなく, D/4 を用いることもあるが, 受験数学の立場からすればそれは必要とされる知識である。よく、「D を知っていれば D/4 はいらない」という人もいるが, そのような人にはもちろん数学が苦手な高校生に関わっている立場から(負担が少なくなるように)言っている人もいるものの, 多くは「時間制限のない世界」にどっぷりと浸かっている人達だったりする。また、「受験数学」を教える中には, 数学が苦手な生徒に対してもわからせる工夫(場合によっては点を取らせる工夫)もある。もちろんこれは内容によっては賛否が分かれたりもする。
[3] は, 「数学マニア」とか数学の「研究者」などが関わる数学である。数学の美しさに感銘したり, 自然界の中に含まれる数学的なしくみを解明するなどがある。それを実生活へ応用することを考える人もいれば, 実生活とは無関係に単に興味として研究する人もいる。
野球, テニスなどには軟式・硬式があるが, このどちらが「正統」かということを主張し合っても仕方のないことではないか。また, スケートの中にもスピードスケートやフィギュアなどがあり, このどちらが「正統」なスケートかと言ったところで意味がないのではないか。また, 音楽においてもクラシックやジャズ, 歌謡曲等様々であるが, これを好みの議論はもちろん構わないにしてもどちらが「正統」を言ってもむなしいだけではないか。これを, 一方の立場の人が, 自分のやっていることが正統であり, 他は邪道であるなどというと, 生産性のないつまらない言い合いになってしまう。
数学についても同様であるが, 数学に関わる人は私は上にあげた世界よりも視野が狭い人が多いような気がする。例えば, [3]の世界の人には[2]の世界を知らずに上から目線で頓珍漢なコメントを残すことも多い。[3]の人は, 普段は「厳しい」時間制限に追われない生活をしているため, 「公式は導いてから使うようにすればよいのだから, そうたくさん覚える必要がない」という発言をする人もいる。しかし, [2]の世界では, そればかりだと時間内に目的が達成できずに終わらなくなることも多々ある。そして, [2]の世界を作り出したのは, 大学入試であり, [3] の世界の人であることも忘れてはならない。
以前, 中学入試で次のような「法則?」を聞いた。
正方形のまわりを半径 r の円が正方形に接しながら一周する。このとき, 円の通過部分の面積を S とする。
円の中心が動いた部分の長さを L とおくと, このとき,
S = 2Lr
が成り立つ。
これは, 中学入試では「センターラインの法則」などと言うのだそうが, 中学, 高校の数学の先生からすれば「『普通』に計算すればよいではないか」ということになるかもしれない。これも, 数学の点がとれない人に点を取らせるためにできたもので一つの「文化」ではあると思う。
[2] の世界の人が[3]の世界の人を小馬鹿にしていることもよくある。例えば, [3]の世界の人の中には自分達で大学入試問題を作っておきながら, [2]の人から見れば解くのが大変遅いからである。
これ以外の例も多々あるのであるが, 数学の世界においてもどの数学が最も必要なのかとか「正統」なのかを議論することを好む人も多い。もちろん, 議論自体は止めはしないが, その中には自分の立場しか知らない視野の狭い発言が多いので, その点が残念ではある。
そして, 数学に関わる人全員が[1],[2],[3] に精通している必要はないとは思うが, 一つの高校, 予備校などの数学の教員の集団くらいになれば, その中に一人, 二人は全体にある程度理解のある人はいた方がよいとは思う。
以上の件は, 今後引き続き述べていき, 今年度夏の駿台教育研究セミナーでもより具体的にとりあげる予定である。