クリープを入れないコーヒーなんて
もう 35 年も前のこと。中学 1 年の私は, 生徒会の事務局(生徒会長・副会長を含むグループ)に立候補することになった。それ以前は学級代表を務めていて, 学級を代表して立候補した感もある。対立候補は隣のクラスの女子であったが, 当選するかどうかは私自身はよくわからなかった。投票前の立会演説会の原稿を書いていたとき, クラスメートが「真面目に訴えるだけではだめ。笑いをとらないと・・・・」とアドバイスのようなものをくれた。
「クリープを入れないコーヒーなんて」
これは, 当時流行っていたコマーシャルの決め台詞。これを用いた。これは, 「私を入れない事務局なんて」をこの決め台詞のようだと言っただけあるが, なぜかうけて笑いをとることができた。中学の選挙は印象に残ったものが勝つようなところもあるので, 私はこれで当選できた。
さて, 余談はここまでにして本論に入る。
最近, 塾・予備校の先生, 高校の先生と話をしていてどうやら勘違いをしているのではないかと思えることがある。それは,
「教員は, 授業をすることが第 1 の仕事である」
ということを忘れているのではないかと思える人が多いことだ。生徒の悩みを聞いてあげたり, 生徒の生活態度を指導したり, ときには友達目線?にたってあげたり・・・・このようなことをするのはよいことかもしれない。しかし, それが教員の第 1 の仕事ではないはずだ。中には, (授業はきちんとしていないのに)生徒の悩みを聞いてあげているから自分はよい先生だと思っている教員もいて困る。これは, 先ほどの決めセリフのように言えば,
「勉強を教えられない教員なんて」
ということになる。
この「勉強を教えられない教員」の特徴としては, 「すぐに問題の解答を見る」あるいは「すぐに問題の解答を探す」というものがある。例えば, 今, 私はいろいろな箇所で数学の問題を提示したりする。それには, 簡単な因数分解もある。
「(a+b-c)(a+b) を展開せよ。」
このようなものもある。これは生徒にハードルの低い問題で習慣づけさせることが大切だという話であるが, このようなものであっても
「解答をいただけないか」
とくる。また, 予備校のテキストなどでも「解答をよこせ」と怒って要求してくる人もいる。本人達は気がつかないのだろうが, 解答を欲している教員ほど情けなく見える状況はない。
昔, 私が務めていた塾では, テキストの解答などはなかった。しかも, テキスト作成者の独特な考え方が含まれているものや, 高校数学の範囲を超えた問題, それに問題に不備があって解けない問題もあったので授業の予習はものによっては大変苦労した。しかし, 解答がないから講師の力は担保でき, 結局, 塾の先生の水準を保つこともできたのだと思う。
教育の質を保ち続けるためにも, 教育者の人たちはこの教員としての原点を忘れないでもらいたい(と言いたい人が多くいる)。
「担当教科を教えられない教員なんて(いらない)」
である。