閉鎖的組織
これまでに多くの「組織」を見てきて、最近特に感じることがある。
「組織」の中には「通気性のよい組織」と「閉鎖的な組織」がある。このこと自体は多くの人は理解していることだろう。
やはり、怖いのは「閉鎖的な組織」で、「閉鎖的な組織」にいる人にはその中にいる自覚は少ない。何が問題かと言うと、「閉鎖的組織」ではその中でしか通用しないルール、あるいは常識ができるのだが、それが社会一般にあてはまると錯覚することである。
そのような「閉鎖的組織」の一つとして私のまわりには「私立学校」と「塾」がある。私は、教員対象の「駿台教育セミナー」という講座を夏期、冬期、春期と担当させ
て頂き、多くの高校教員と接触しているのだが、そのようなところに情報を得るためにわざわざやってくる教員であればあまり心配はしない。しかし、一方で外に関心のも
たない教員も多くいる。そのような教員は学校単位で抱えているわけで、どのような学校がそれにあてはまるかというのは、実はその高校を卒業し予備校に通う生徒の質問
からわかる。私の中には、どのような高校がそれに当てはまるかは都内近郊の高校であれば頭の中に入っているが、もちろんそれをこの場で公表することはできない。ただ
、少しだけ言うと、そのような学校は、いわゆる「有名進学校」と受験という視点から見た「底辺校」の「両極端」に分布している。
例えば、生徒の質問の中には、数学の内容からすればあまり重要でないことにこだわるものがある。それは、「書き方重視」のものである。
「『1次独立』という用語を答案の中で用いてよいのか」とか、「余弦定理より」と書くべきかとか、「合同式を表す『≡』を答案の中で使ってよいのか」とかばかりを気
にしていて、肝心の数学の内容には無頓着だったりする生徒から学校のことがわかる。
私の経験では、そのような質問を繰り返す生徒は大概は数学の本質に目を向けていないので、数学そのものをあまり理解していない。また、そのような書き方にこだわる学
校(ときには塾)はいくつかあることがわかっており、そのような学校に行って話をしたいとは思うのだが、閉鎖的組織のため「自分達のやっていることに問題はない」と思
っているようで実現しない。進学校の中には「だって自分達のやり方で東大に何人も入っているのだから」と考えているところもある。みなさんはおわかりだろうが、その
ようなところの生徒の多くは塾に通っているものである。
一方、「底辺校」の閉鎖的な学校には、「勉強よりも大切なものがある」ということをよく口に出す。確かに高校で教えることは勉強だけではないだろう。生徒を甘えさ
せ、独立心、自立心の発達を阻止しているのには気がつかないでいたりする。自分達はこんなに生徒思いなのだから、とってもよい教員だと考えるのだが、それが教員の第
一であっては困るわけで、教員の第一は教科の内容をしっかり指導できなければならないことだ。
このようなことは学校だけではなく、「塾」にもありうる。塾の中には、卒業生がその塾の講師になってそこで何年も「自給自足」を繰り返すものがある。そのこと自体
がすべて悪いわけではない。その塾に通い、今度は自分が後輩たちのために面倒をみようという思いは大切で、塾にとっても生徒にとっても宝である。しかし、その一方で
塾の中での間違いが永遠と受け継がれていく可能性もある。ある塾で「○○の定理」と言っているものが、そのような定理は世の中には定理は存在しない(定理として認識
されていない)というものはよくある。その塾の中では定理として存在するが、それが世の常識と思って疑わないところが問題だったりする。しかし、「自分達は正しい」
と勘違いをして外部の情報を遮断するから、何年も前進しないということが起り得る。
教育現場で、このような閉鎖的な組織にいると思い当たる人は、一度、騙されたと思ってでも外に目を向けてほしいと思う。