1月1日放送の BS Asahi 辻井伸行君の演奏の感想
1月1日にたまたま BS Asahi をつけると全盲のピアニストである辻井伸行君の昨年行なわれたサントリーホールでの演奏会の様子が放映されていた。途中から見たのであるが、(途中からの)曲目はリストの「ため息」あと「リゴレットパラフレーズ」、そしてその後のメインはムソルグスキーの「展覧会の絵」であった。「展覧会の絵」は私の演奏会レパートリーでもあるので、細部まで楽しませてもらった。
まず、テレビ局への苦言であるが、展覧会の絵の曲と曲の間で一度 CM が入った。それは古城のあとであるが残念である。展覧会の絵は組曲であるが、この組曲の場合、他の組曲よりも曲と曲の結びつきが強い。前の曲の印象を残しつつプロムナードを通じて、あるいは直接、絵本をめくるようにして次の曲に入るようにできている。したがって、演奏者もこの曲の場合、通常、曲と曲の間にすきまの時間を作らない。それをCMで一度区切ったのはいただけない。あくまでも展覧会の絵は全部で一つの曲なのである。一度 CM が入ったので、次はどの曲のあとでCMが入るのだろうと気になりだした。展覧会の絵の場合、後半は曲と曲が接続されている場合が多いのでなおさらひやひやしながら聞いていた。
辻井君は、サポートする男性に導かれて壇上の中央にあるピアノへと向かった。そして、普通のピアニストよりも時間をかけずすぐに演奏を開始する。最初の1音をどのように探すのかが気になった。が、あまり確認作業などしないで曲に入り大変不思議であった。
さて、さすがピアニストだけあって、結構指は動き正確なタッチであることには感心した。しかし、音は間違えていないのであるが、若干、私と解釈の違うところもあった。楽譜の中で作曲者が残した深遠部にあるメッセージを正確につかめていないのか、あるいはつかめているが、何か理由があって無視しているのかのどちらかがわからない部分がいくつかあった。
例えば、リモージュの中には、最初と再現部で同じ音形であってもアクセントの位置が異なる部分があるが、それを意識しているようには思えなった。また、バーバーヤーガにもアクセントの位置が譜面どおりではないか、あまいと思われる点があった。解釈の違いと言えないことはないが、譜面どおりの演奏技術がないとも思われないので、彼にこの部分を伝えた人の力量もこの水準になるとかなり影響があることを実感した。願わくば、彼に作曲者からの直接のメッセージを受け取れるようにしてあげたいと思うのだが。
以前、ピアニストの中村紘子さんが、ヴァン・クライバーン国際音楽コンクールの優勝者には、その副賞として多くの演奏会の開催が約束されるが、その見返りとして演奏者はそのハードスケジュールによってやせ細っていくと言っていた。比較の対象にはならないかもしれないが、塾・予備校の先生で授業を多くもちすぎる人の中には、授業マシーン化して内容のない授業をするようになる人もいる。また、医者や学者の中にもテレビなどの出演ばかりをして、中味のない人間になっていく人もいる。20代のピアニストの場合は、まずレパートリーを広げることと、作曲者の残したメッセージを直に受け取り、深く追求することが大切である。彼にはこの点を期待したい。