「微積分学の基本定理」は「定理」ではない!
高校数学の積分の導入部分において, 積分は「微分の逆」として定義される。つまり, f(x) の積分とは微分して f(x) になる関数の一般形である。
数学に限らないことと思うが, 一般に, 最初から厳格さにこだわって説明をすると初学者が破綻することは多い。例えば, 「x が a に限りなく近づくとき f(x) が αの限りなく近づくこと」を ε-δ論法を使って高校生に定義しても, 理解できる高校生は数パーセントであろう。それよりも, 収束については「とりあえず」は曖昧な説明をしておき, そこから先の世界をある程度見てもらい, しばらくたって再度「収束することの定義」を考えてもらう方がよい。
さて, もう一度, 積分の定義に話を戻そう。積分の定義も高校生に最初から厳格に定義をしてもおそらくほとんどの高校生は理解できないとの考えから「積分は微分の逆」で定義しているのだと思う。これについては, 教え方の工夫の一つではあることは認めつつも, 個人的にはあまり好きにはなれない。
まず第一に, この定義の場合, 高校数学の積分は「リーマン積分」なのだろうか, それとも「ルベーグ積分」なのだろうかはわからない。リーマン積分の場合は, いわゆるディリクレの関数, すなわち, x が有理数のとき 1, 無理数のとき 0 をとる関数 を 0 から 1 まで積分することはできないが, ルベーグ積分の場合はこの定積分の値は 0 である。はたして高校数学の場合は定績分の値はどちらになるのだろうか。
そして, 現行課程における教科書の最大の矛盾は, 微積分学の基本定理である。これは, a を定数として 「x の関数 ∫_(a)^(x) f(t) dt は x の関数であり, これを x で微分すると f(x) になる」というもの, つまり,
d/dx ∫_(a)^(x) f(t) dt=f(x)
である。これは「積分した関数を微分すると元の関数になる」, つまり「積分は微分の逆である」ことを言ったものであるが, このことは高校数学の中では定義であったはずである。これを知らないうちに定理に摩り替えてしまうと, 高校生の目の前で「大人」が定義と定理を混乱して使っている「手本」を見せているようなものである。高校数学の中では, 微積分学の基本定理は「定理」ではないのだ。これが定理でないことも私のとっては(もちろん多くの数学者にとっても)気持ち悪いことではあるが, このまま「定理」と呼び続けてよいものなのかということをよく悩んでいる。
12月 22nd, 2012 at 1:58 AM
実際にテキストに「微分積分学の定理」という文字があるんですか?