数学教育研究所 公式サイト Mathematics Education Institute Official Web Site
Jan.01
2011
新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

私の場合は、これまでは5年に1回のペースで身の回りの環境が大きく変わってきました。昨年はその5年に1回の年でした。何かある年だとは思っていたものの、昨年の前半は静かであったので平和に暮らしていました。しかし、昨年の後半は交友関係ががらりと変わることもあり、激動の年でした。
本年はそれを引き継いだ形ですが、多くの人が滅多に得られないチャンスを与えてくださるのでそれを逃さないように努力して行きたいと考えています。

今年は、特に執筆活動に重点をおく計画でして、これまでの延長の受験参考書等はもちろんのこと、それ以外にも、より大きな場も用意してもらっているので、期待にこたえられるようにしっかりと励んでいく所存です。

また、多くの人と協力関係を築ければよいなと考えています。

Dec.31
2010
本末転倒?

ある数学の教育者が鼻高々に言う。
「私は、x^3=8 の実数解を求める必要が解答の中で現れたときは、必ず、
x^3-8=0
(x-2)(x^2+2x+4)=0
として、2次方程式 x^2+2x+4=0 についてにも触れておくことにしている。すなわち, 2 次方程式の判別式を D とおくと、
D/4 =1-4=-3<0
であるからこの 2 次方程式は実数解をもたないことについて触れ、その後で x^3=8 の実数解は x=2 だけである。
とする。」
このように言う。それで自分の授業は丁寧なんだという。これは、x^3=8 の実数解が x=2 だけであるというのは自明ではないという立場である。

しかし、何かおかしくはないか? なぜなら 3 乗根 a の記号は、実数 a については、x^3=a となる x は「ただ一つ存在」し、それを 3 乗根とよぶということは認めているではないか。すなわち 3 乗根の記号を使っているということは、x^3=a を満たす x は一つしかないということをすでに認めているではないか。

これ以外にも、個人的には、数学 III で x>sin x であることを示せといわれたときに、f(x)=x-sin x とおいて f(x) を微分するのはやめてもらいたいと思う。

Dec.21
2010
冬期駿台教育研究セミナーについて

教材に訂正があります。

p.15 の神経衰弱をモデルにした問題ですが、肝心の問題がありません。
これは、「期待値 E_n を求めよ。」というのが問題です。

当日は、別の題材の問題をプリントで用意する予定です。

Dec.14
2010
今度は本気?

以下は、数学教育に携わる人向けの話です。

中学では2009年から新カリキュラムが始まり、高校では2012年から数学の新カリキュラムが始まります。「なーんだ。それだったら、再来年の春の話 じゃないか」と思う人も多いでしょうが、中高一貫校などで中3のときに高校の内容を教える学校では来年の中3から高校の新カリキュラムが始まります。
さて、時代の流れとでも言いましょうか、新カリキュラムでは「データの分析」ということで、いわゆる「統計」が始まります。ところで、この統計は今まで にもありましたが、例えば数学Bの場合はほとんどの場合が「ベクトル」と「数列」を選択するので「統計」は選択しません。数学Cについても同様です。実 際、大学入試でもこの範囲は指定されることは非常に稀です。つまり、統計を勉強しても大学入試にはほとんど役に立たないので当然、「教科書にあるだけで誰 も統計のことなんか知らない」という状態でした。
ところが、今回の改訂では違います。「データの分析」は数学Iの中にあり、全員が必修です。ご存知の方も多いかもしれませんが、どんな高校でも、高校で ある以上勉強しなければならないのが「数学I」ですから、統計を数学Iに入れている意味は非常に大きいわけです。すなわち、文科省からすれば「今度は絶対 に統計をやるように。今までのようにはいかないぞ」という意思表示かもしれません。
ちなみに、「統計重視」の姿勢は中学数学からすでに始まっています。

にも関わらず、「統計は入試で出ないだろ」と考えて、統計の扱いがこれまでと変わらない学校、塾が多いようです。繰り返しになりますが、今回の統計の扱 いは数学Iの中に組み込まれているからにはセンター試験には必ず出題されます。数学Iにあるので、統計を題材にした(統計の顔をした)問題も2次試験に出 る可能性は十分にあるのです。嫌なものは見ないではすまされません。

# 高校数学の中で本当の全員が必修である教科は数学Iです。ちなみに、英語は英語Iだけ、地歴は「世界史A、世界史Bのどちらか一方と日本史、地理のA,B からどちらか一方をとる」のがルールです。

Nov.30
2010
読者感謝フェアー

今年の年末か来年の1,2月に読者感謝フェアーを行なう予定です。
何をするかというと、主要大学の予想問題の配布です。次の書籍をもっている人が対象です。

「数学の幸せ物語」(現代数学社)
「受験数学の理論問題集」の『数と式』あるいは『微分・積分』

これらをもっている人専用のキーワードを送り、PDFで作成した予想問題をGetしてください。
配布は当ホームページで行ない、配布の1週間前に告知をします。

Nov.28
2010
バスケットシューズの勧め

長年、教壇に立って今まで試して来たことがある。それは靴。最大で一日10時間の授業を担当することがある生活の中で、やはり立っている時間で一番長いのは通勤時間ではなく、教壇にいる時間である。その教壇にはどのような靴が向いているかが気になっていた。
足が楽なように、サンダルのようなものを履く人もいるが、サンダルは足にフィットしていないので歩くときに余計な力がかかるような気がする。長時間歩く からウォーキングシューズがよいのではとも思えるが、実はウォーキングシューズというのは、前後に同じ動作を続ける分にはよいのだが、左右の動きに弱い。 教壇では、左右に何度も移動するので左右の動きに強い靴が望まれる。
そこで見つけたのがバスケットシューズ。バスケットシューズは前後の動きだけではなく、左右の動きにも実にきっちり対応してくれる。例えば、バスケット シューズを履いていると電車でつり革に捉まって立っているとき、電車が揺れても足が横にカクッとなることはない。また、階段も1段抜かしでかけ降りること もできる。
こんなことで、同じように教壇に立つ人には、バスケットシューズを勧めたい。ただ、難点もある。それは、専門店に行かなければなかなか手に入らないこと と、もともとバスケットシューズは室内で履くようにできているから雨に弱いことだ。私のバスケットシューズは靴の裏に通気穴があいている。

Nov.20
2010
精密な計算と大雑把な計算

高校数学を教えていると、必要でも教える機会が少ないものや足りない部分がいくつもあるのを感じる。その中の1つとして、「計算」にスポットをあててみよう。
試験の答を求めるために計算するときは、「精密な計算」が要求される。例えば、2 次方程式 x^2 -3=0 の解は ±√3 すなわち, ±3^(1/2) であるが、これを 「約 1.73」とか「1.73 くらい」などと書いては数学の試験では点にならないだろう。他にも例は豊富にあるが、ここで詳しくあげる必要はないだろう。
このような「正確な値を求める計算」、すなわち、「精密な計算」はもちろん大切であるのだが、これに対し「大雑把な計算」は軽視されがちな感じがする。ここでいう「大雑把な計算」とは
n が十分大きいとき 3^n は 2^n よりはるかに大きいとか、極限

lim_(x→∞) (x^3 + 2x^2 + 3x +4)/(4x^3 + 3x^2 +2x +1)

については、分母と分子の最高次で決まるとか、

lim_(n→∞) {(1^2 + 2^2 + 3^2 +・・・・+ n^2)(1^3 + 2^3 + 3^3 + ・・・・ + n^3)}/n^a

が 0 以外の値に収束するような実数 a は分子の次数だけを考えて a=7 であるとか。
また、
x>1 のとき x^3 +2x^2 + (x/(x^2+1)) >3
である、のようにきちんと計算しないで大雑把に様子を調べる計算である。
これらは、試験の答案としては書かれることは少ないか、全くない。それは、試験では「正確な値」「精密な計算結果」が最終的に要求されるからである。そ こで、「なーんだ、答案にはいらないのか〜」となってしまって、「最短経路で合格しよう」と思っている受験生には敬遠される。
ところが、これらの「大雑把な計算」は方針を立てる上できわめて重要である。関数 f(x,y)=・・・・ の最小値を求めたい場合に、「なぜ、先に x で微分するのではなく、y で微分したのか?」 とか、というのは、「大雑把に頭の中で先々の計算を見積もってどちらがよいかを判断したからである。
lim_(n→∞) (log(3^n + 2^n ))/n を求めるときに、なぜ最初に

lim_(n→∞) (log(3^n + 2^n ))/n = lim_(n→∞) log (3^n (1+(2/3)^n))/n

のように log 内を 3^n でくくるのかは n が大きいとき 3^n +2^n ≒3^n と考えたからである。
この「大雑把な計算」は大雑把である代わりに早くなくてはならない。いくつかの方針がたつ問題において、それを一つ一つ丁寧に計算してみて、「これはよい」「これはだめ」と判断していたのでは時間がかかりすぎる。
「大雑把な計算」は試験の解答を支える「見えない部分での作業」であるから、問題集の解答を暗記しているだけの勉強では身に着かない。本当は、数学のできる人の解答ができるまでを「生」で見ているのがよいのであるが・・・・。

これらについては、今執筆中の本にも書くので、出版時期がはっきりすればまたこの場で報告します。

Oct.21
2010
新カリキュラム

最近は、仕事の幅が広がりつつあります。その中で、数学以外の指導カリキュラムを理解しなくてはならなくなり、特に理科と地歴には苦労しています。理科 は例えば物理の場合は、物理基礎(2単位)と物理(4単位)に別れ、理系の場合は、「物理基礎」「化学基礎」「生物基礎」「地学基礎」から3つ選択するこ とになるようです。先生の人数の確保など多少の混乱が予想されます。

Sep.30
2010
困った先生

すでに twitter 上でも紹介したのですが、ある小学校でこんなやりとりがあったそうです。http://okwave.jp/qa/q5273339.html
話の要点は、ある小学校で先生が 3cm, 3cm, 6cm の長さの三角形を作図せよという問題を出して、その授業を受けていた小学生が「描けません」といったところ、
「確かに、中学、高校では描けないことになっているが、小学校の算数では線分の太さなどの誤差を考えれば描けることになっている!」
と言って、その先生は一歩も後には引かないということなのです。
まあ、この先生に対する非難はここの掲示板に書かれてあるとおりだと思います。
あえて加えるとすれば、

  • 「普通」は描けない条件の問題を、太さを考慮すれば書けるとしたことにどのような教育的な配慮があるのか。
  • この授業を受けた生徒達が、将来「三辺が 3cm、3cm、6cm の三角形が描ける」と信じたことが原因で、試験などで落とされたり、恥ずかしい目に会ったとすれば、それは自分のせいだとは思わないのか。

ということもこの先生に聞いてみたい感じがします。おなじ教育者として。
実は、私も以前、あるところでこのような先生を見たことがありますが、このようなパターンの場合、自分は「間違っていない」、「こう捉えれば自分の答も正しい」、「数学の解答は一つではない」、「1+1 だって 3 だというときがあるではないか」などと言って、意固地になってしまいます。そして、このような先生は相手が根負けするのを待っている感じです。根負けせずに、こてんぱんに論破すると今度は逆恨みをされます。
私が考える先生の「最低限」の条件とは、

  • その教科の十分な知識をもっていること
  • 間違えた場合は、それを放置せずに、必ず修正すること

です。予備校、塾の講師の場合はさらに

  • 休まないこと。授業に遅れないこと。

が追加されます。もちろん、大学、高校などの教員の方にも最後の条件は大切ですが、予備校、塾の先生の場合は「間違ったことを教えない」と同レベルくらい大切なことなのです。
さて、塾であれば、場合によってはこのような先生に関わらない方法があることもありますが、今回の掲示板のように担任の先生だとどうしようもないですね。ただ、今は web 上などで多くの人に聞くことができますから、心配なことがあれば迷わず聞くのがよいでしょう。私も、お助けできればしてみたいとは思っています。

Aug.01
2010
へぇー。そうなんだ。

「数学の幸せ物語(後編)」が発売されて2週間ほど経過しましたが、amazon で皆さんが買ってくださるおかげで amazon ランキングは好調です。amazon はこちらです。
ところで、この本の分類では amazonでは、なんと「日本文学」になっております。これが日本文学に入るとは知りませんでしたが、大変光栄です。確かに後編はストーリー重視になっ ているのですね。ストーリーを追いかけながら数学の話が頭に入っていったり、面白いと感じてもらうことがねらいなので。
まだ、読んでいない方も「日本文学」の「数学の幸せ物語」をどうぞ(笑)。