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第8回高大接続システム改革会議に関して

2015年11月30日に高大接続システム改革会議いわゆる有識者会議が開かれた。
これについてはすでに NHK などのメディアでの報告があるものの、個人的にはこの報告ではやや弱い感じがするので、私個人の感じた部分 (★印のある部分をつけた) も含めて解説する。
なお、文章の中で書かれている内容が不適当(例えば非公開にすべきもの)などがあれば、連絡を頂ければ速やかに削除する。また、★印部分は私の個人的な感想なので発言者からすれば「そうではない」と言いたくなる部分もあるかもしれない。それを踏まえた上でよんでいただきたい。★部分以外で事実と異なる部分があるのであれば速やかに修正をする。

14:00 から文科省の3階1特別会議室で 16:00 までの予定で行われた。この手の会議は、時間厳守のようで、延長は決していないようだ。そのため、以下の2つの議題のうち 1 に時間がかかり 2 の方は 20 分程度しか話されなかった。
今回の議題は次の 2 つである。
1. 多面的な評価検討ワーキンググループにおける審議の進捗状況
2. 「大学入学希望者学力テスト (仮称)」について

★ 傍聴者の大半の期待は 2 の方だったと思う。1 の話のときは私のまわりには大きくいびきをかいて寝ている人たちもいた。

14:00 に開始された会議であるが、しばらく文科省側から配布物の説明が続く。実は、傍聴者への配布資料(資料2-1)が一つ足りなくて、傍聴席がざわつくが、文科省側の説明進められた。文科省からの説明は指導要録の変更点などが主だった。

★ したがって、資料2-1に関する話は傍聴者にはよく理解されなかったと思う。そういうこともあって、NHK の記事にも資料2-1の部分は触れられていない。

14:40 から議題 1 についての議論が開始された。
前半は、高校生の学力をどのように評価するかに時間が使われた。例えば、指導要録の項目についても、小学校の場合は具体的であるのに対し、高校は具体的項目が少なく、自由欄が多い。これに対し、これでは高校が違えば平等な評価ができないのではという意見もあったが、それに対しては、高校は小学校と異なり学習の幅が広い。つまり、普通科もあれば音楽学校のようなものもある。これらを同じくくりで評価するのは困難であるという回答であった。また、調査書については、高校は多様である。むしろ、これまでは多様化を目指してきたという側面がある。したがって、高校生を一種類の評価基準の枠に入れるのは問題があるとの考えも出た。ただ、これでは大学側に信頼される調査書にならない。大学側もこの調査書を使いたいと思わなくなるとのこと。
また評定についてはも高校によっては、5段階の 5 または 4 の評定がほぼすべてのようなところもあり、これでは高校生の能力の差別化になっていないので、これが高校の評定が信頼されない原因でもあるという意見も出た。
中には、企業の採用面接で行われる「エントリーシート」(自己 PR シートのようなもの)を高校生に書かせるとどうかという意見もあった。これは、受ける大学の志望理由や将来の夢、目標を書かせるというものでこれが大学側の判断に効果があるのではないかというものである。

★ 最後の意見は某企業の方と某公立高校の校長の発言である。これに関しては私は的外れだと感じた。
・企業の入社面接であれば、その企業を受ける理由がはっきりしている。しかし、大学の場合はまだ定まらない人も結構多い。まして、大学の志望理由として、「東大に入れないからこちらの大学にした」のようなものもあるだろう。そういう人もそこの大学で夢をかなえれば問題がないと思うが、志望理由としては書くのは難しいだろう。そういう大学のエントリーシートには、受験生の多くは「嘘」を書くことになる。
・理数系の優れた研究者になる人には、大学入学時では自己アピールが下手な人も少なくない。教室では目立たなく控えめな人でも、優れた才能を持っている人は多い。口先だけの雄弁さだけが取り柄の人が有利になるかもしれない制度はいかがなものかと思う。

「エントリーシート」については、おそらくこれを指導する人たちが出てくるだろう。そうなっても意味のあるものを作っていきたいとのこと。
また、高校生の評価について、「こういうことを評価する」と言えば、それが高校生を型にはめることになるのではという意見があった。

★ 例えば、数学オリンピックで入賞するというのであれば、なかなかできないことであるが、何かのボランティア活動をしたら評価するというのであれば、高校生をそちらに誘導することになってしまう。結果、型にはめてしまうという考え方。
この「エントリーシート」に対し、「エントリーカード」というものを提案する人もいた。これは教員が書き込むもので、これを作ってはどうかという意見も出た。そこに生徒の日常的な評価を普段から書き込んでいくとよいとのこと。日常的にコツコツためこんでいくのは手間ではないという。
また、電子化してそれを中学から高校、大学につないで行けばどうかという話もでた。

★ 「手間ではない」というが、私は大変な手間だと思う。その感覚が私にはわからない。ちなみにこれの発言者は都内の小学校の校長。

これ以外にも細かなものはあった。例えば、マイナスの評価も書くべきなど。
15:40 になり、議題2の大学入学希望者学力評価テスト(仮称)の話題になる

★ ちなみに前々回のときに、「そろそろこのテストの名称の (仮称) を取りましょう」という発言もあったが、この日もついたままだった。
多くの傍聴者はこの部分の話を聞きたかったのだろうが、残り時間20分では、あまり深くは話せない。すぐに、具体的なことは次回という話がでた。次回のときに具体的なものを用意するとのこと。この発言から現在の進捗状況が読めるが、今はあまり触れないことにする。

この議論が始まるとすぐに、これまで発言のなかった東大の五神総長から実質的な発言があった。それは次のようなもの。
(a) 50万人の試験にどのくらいの自由度をもたせた試験が許されるのだろうか。
(b) センター試験の中にも思考力を測るのに適した問題があったはずだ。それをまず検証することが大切だ。過去の良問をもう一度検討すべきだ。
(c) センター試験は思考力を見る方法も蓄積されているのでは?
(d) 記述式になるとマークシートと違い多様な解答があるので、「まちがっている」「あっている」の二者択一ではなく、その中間も存在する。それを評価しないようではまずい。

★ 本日の発言の中で最も的を得て、しかも合理的、建設的な意見であると感じた。
(a) については、50万人の試験を記述で行うのは大変だ。記述試験の中には狭い範囲のぶれで済むものもあれば、まったく自由な解答があるものもある。例えば、「あなたの一番の思い出と理由を書きなさい」のような問題があったとすれば、多種多様でどう評価すればよいのかは難しい。それに対し、ある程度答が予想されるような記述もある。どのくらいのものをどのくらいの覚悟で行うのかを問う質問であると感じた。
(b),(c) これまで、「センター試験は廃止!」ということをスローガンとして大きく上げてきた経緯がある。そんなにすぐに「廃止」と言ってもいいの? ということかもしれない。センター試験にもよい問題はあり、これまでのノウハウの蓄積は貴重である。それをセンター試験はマークシートだからとか、マークシートでは学力は測れないと決めつけて、センター試験を「悪者」にした感じであるが、まず、たとえセンター試験が悪かったとしてもセンター試験の反省がきっちりなされないといけないのではという意見である。
(d) 記述形式の試験という一つの「夢」を追っているが、記述試験にはできたかできないかではなく、「中間点」という評価が必要になる。その評価を懸念している発言であろう。
この後、安西座長から、「思考力」には「演繹的思考力」と「帰納的思考力」があり、今はどちらを見ているのかがわからない状態にある。
また、今のセンター試験では、「この中に必ず正解がある」という仮説のもとに成り立っているが、それがあるかないかでは問題は大きく違うという発言があった。

★ これは、現在のマークシート式のセンター試験の足りない点を述べたのだと思う。だから改革が必要なのだと。

この後、ある委員から、「1 回の試験による選抜だと試験対策ができてしまう。」
という発言もあった。

★ 話し方からして、「試験対策」をする人としてもちろん高校教員もあるが「受験産業」が絡んできて、そこが今回の改革をぶち壊してしまうというようなニュアンスも感じた。

このあたりで時間になり解散となる。

当サイトでは、日本の教育改革に取り組んでいます。次回の報告もできるようであればします。

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This entry was posted on 水曜日, 12月 2nd, 2015 at 12:05 AM and is filed under 教育, 高校数学を考える(教員向け). You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

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