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「どうやったら思いつきますか病」

時代とともに人の考え方は変化するのは当然である。それは、子供と子供を育てる親にもあてはまる。

私の少年時代は昭和 40 年代~50年代であるが、その当時の親の世代は、戦前に少年期を過ごした人たちであり、戦前、戦後という大変革があったため子供が変化することは割と簡単に受け入れられたようだ。
これに対し、1990 年代と現在の 20 年間はこのような非常に大きな社会体制の変動はなかったので、子供の変化にはあまり関心がない人も少なくないのかもしれないが、実は大きく変化していると感じている。

その最近の高校生と接していると、20 年前の1990年代の子供たちと変わったなと思うことがいくつかある。
まず、今の高校生は、昔と比べると非常に親の目が行き届いている。それはよいことかもしれないが、ときにはやりすぎと感じているものもある。
例えば、夏期講習を始めて高校生が受けるとき、その親が塾・予備校に電話をかけてきて
「うちの子は人見知りなので、うちの子が授業の内容をわかっていないような感じでしたら、先生の方から声をかけてください」
などのことを頼む(ときには命令する)のは珍しくない。
このように、本来は子供自身で解決すべき問題を、親が先回りして解決してしまうと、その結果、子供は親の敷いたレールの上を進むだけになり、自分で判断し、主張をする機会がなくなる。そして、そのうちに大人になって自分で判断し、主張しなければならないときに、それまでの主張の手加減がわからないから、とんでもないことを急に主張したりする。

また、考える習慣・判断する習慣がないため、すぐわかることまで質問してくる。
例えば、ある生徒が普段習っている英語の先生に質問したとき、その先生が「その話は(別の)英語のP先生が詳しいから聞いてみるといいよ」と言ったとする。
そのときに、その生徒は P 先生を知らなかった場合に、「P 先生には何て聞けばよいですか」とか「P先生にはどういうふうに聞けばプリントをもらえますか」
のようなことを事細かく尋ねてくることは珍しくない。

これは、次のような会話に似ている。
高校生 A: 「お茶の水から新宿に行くにはどのようにするとよいですか?」
大人 B: 「中央線を使うといいよ。中央線は JR だから JR お茶の水駅に行って。」
高校生 A: 「お茶の水駅はどこですか?」
大人 B: 「あそこに見える駅だよ。」
高校生 A: 「いくらくらいで行けますか?」 (a)
大人 B: 「200 円以下で行けると思うよ。」
高校生 A: 「切符はどうやって?」
大人 B: 「自販機があるから。」
高校生 A: 「どの自販機で買えばよいですか? 」「どのボタンを押せばよいですか?」 (b)
大人 B:「・・・・」

この中でも (a), (b) の質問をする人はあまりいないだろうが、こと数学に関してはこれに相当する質問をする人が近年増えていることが気になるところである。

その数学の質問の一つは、ある問題の解答を説明したときに、

「(この解答)どうやったら思いつきますか?」

というものである。これは、(私の知る範囲では)少なくとも 20 年前にはなかった質問である。
もちろん、多少はこのような質問をするのは許されるとしても、つねにこのような質問を連発するようでは、数学の学習法を間違えていると思わざるを得ない。

このような質問については、次の 2 つのケースがある。

********************
[Case 1]: 「ある数を 2 乗して、そのある数を加えると 6 になった。ある数は何か」
という問題に対して、解答として 2 次方程式 x^2 +x=6 をまず作ったとする。このときに、

「どうしたら 2 次方程式を作ることを思いつきますか?」

という質問を返してくる。

[Case 2]: 円 x^2 +y^2=1 を C として、C の外部の点 P(a,b) から接線を引く。その 2 つの接点を Q, R とするとき、直線 QR の方程式は ax+by=1 であるが、これを説明する有名な方法がある。
(極線で検索するか、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3301439.html などを参照)

それに対して、

「このような方法は自分には思いつきません」

という。
********************

[Case 1」と[Case 2」では状況が異なる。

[Case 1」は、
「マニュアル依存型」、「ノイローゼ型」
の人が多い。仮に「2次方程式を作ることの思いつき方」を教えたところで、それを試験中にいちいち実行するのだろうか。

歴史に例えるなら、先生が
「鎌倉幕府成立の1192年は『いいくに作ろう鎌倉幕府』と覚えよう」
と言うと、
「先生, どうやったら『いいくに・・・・』を思いつきますか?」
と返すのに似ている。

はっきり言うと、このような質問をする人はまだまだ勉強不足なのである。2 次方程式をある程度学んだのなら、自然と使う気になるくらいになってほしい。
「受験ノイローゼ」の人は、これまでに手痛い目にあっているものの、自分ではどうしてよいかわからないという人達であるが、そのような人達は知らず知らず
「考えない習慣」
が身についてしまっている。なぜなら、今まで自分で考えてきたことがことごとく否定されてきたからで、これは気の毒な一面もある。
このような経緯で、考えればすぐわかることなども質問してしまうようになる。

「Case 2」は、大半の人は「思いつかない」というのは仕方ないことではあろう。だから、「思いつかない」というのは素直な反応ではあるのだが、そういうものは、
「先人の知恵をその場で学べばよいだけ」
である。
先人の人達が何年もかけてようやくたどり着いた結論を提示されたとき、「そんなの自分には思いつかない」というのはほとんどの人には当たり前で、それよりも、そのアイディアを盗むくらいのつもりでいればよいだけである。

● どんなに難しいと思われる話であっても、まず「考えてみる」という段階を忘れない。
● それでだめなら、その知識を自分の知識としてキープすればよい

という、ごく当たり前の行動をとればよいのだが、この「どうやったら思いつきますか」という質問は、何でも親に頼りがちな高校生が多くなってきた現代らしい数学の質問である。そして、自分に自信を失った受験生の一部がたどり着く受験生の「病気」である。

This entry was posted on 日曜日, 6月 10th, 2012 at 11:35 AM and is filed under 教育, 数学. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

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